箕輪城 日本百名城

今回は真面目に、歴史のお話。

日本百名城めぐり、折り返しを超えました。

自分が巡る、51個目の百名城。

箕輪城

関東管領職 上杉憲政 の重心 名君 長野業正 の居城。

※自分、結構 長野業正 好きです。

上野(こうずけ)の拠点とされていました。



群馬県は高崎駅から伊香保温泉行きバスに乗り約30分。

城の入り口へ。

これが戦国期(長野氏時代)の縄張予想図。
nminowa1.jpg

搦め手側から登ります♪
minowa6.jpg
見えるは本丸跡。

二の丸です。
minowa4.jpg
現在 果樹園か。

二の丸から本丸方面に歩くとノボリを発見。
minowa3.jpg
やはり、長野業正公 と 後の城主 井伊公 のノボリ。

ノボリ脇には空堀です。
minowa2.jpg
こういう処、見学ポイントです♪

そして 石碑。
minowa9.jpg

そして本丸跡
minowa8.jpg
なんにも、ないけどネ。

そして またノボリ
minowa10.jpg
今度は 上泉公!!

そうだっ!

剣聖 と言われた 上泉信綱公って長野氏の家臣だったっけ。

※上泉信綱 戦国時代の剣聖 塚原朴伝と互角の腕とも言われている。

本丸と書かれている、現在は只の平地でも、

上泉信綱公や、長野業正公、井伊直正公が、ここで命を掛けて働いたんだぁ~。

と思うと、テンションのあがる自分です。

説明
moniwa7.jpg
クリックするとアップになります。

本丸からの眺望
minowa5.jpg
正面の雲で隠れている山は赤城山。



赤城の山も今宵かぎりぃ~!!

それは、国定忠治か…。



箕輪城城主 長野業正は、主君、上杉憲政が没落し、
越後へ落ち延びた後も、ここ箕輪城を北条、武田から守りぬきました。

※上杉憲政は越後の長尾景虎に上杉姓と役職を譲る。
 ここに上杉謙信誕生。(直後は上杉政虎って名だけど。)

流石の武田信玄も

『業正がいるかぎり、上野は落とせん。』

と言ったとか。

そんな業正も病には勝てず71歳で死去。

後を継いだ息子、業盛はわずか14歳。
(71歳で14歳の息子って?)

14歳の業盛、武田信玄の猛攻を支えきれずに、ここで切腹。
(14歳ってエヴァのシンジ君と同じ歳かあ。)




箕輪城は、後に真田幸隆(幸村のオジイチャン)や滝川一益(織田家家臣)
なんかが城代しましたが、徳川家が関東入りした時には井伊直正が城主です。

そして、井伊直正が高崎城を完成させると、箕輪城は廃城になりました。

以上、コッテリモード?

箕輪城でした。



帰りはバスのタイミング合わずにタクシー。
(3500円もかかったよ~。)

タクシーの運転手さんが言ってました。

運転手さん
『お城めぐりする方って、お堅いお仕事してる方多いですよ。
 学校の先生、病院の先生、お役人さんとか。』

自分は、お堅いのか??



以上、読んで頂き有難うございました。
スポンサーサイト
プロフィール

サムライダー

Author:サムライダー
性別 :男子   (雑食系)
身長 :165cm(調子の良い時)
体重 :62キロ (飲んでない時)
血液型:+O   (Aに憧れる)
目標 :優勝  (棚ボタでも)
好きなもの:歴史・自転車・
      トレーニング・ミリタリー関連

元自衛官
元実業団野球トレーナー
元整形勤務

実力以上にウンチク話し、
マニアックで自虐ネタ
も多いですが暖かく
見守って下さい。



最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR