日本百名城 七尾城

ゴールデンウィークはガッツリ仕事したので今回は遊びます♪

日本百名城めぐりです。

土曜日夜10時、バスタ新宿から5千円ちょっと出して
夜行バスに揺られて、翌日朝7時半に石川県七尾駅に来ました。

63個目に来たのは石川県 能登 七尾城
七尾城の絵
七尾城の絵

日本五大山城の一つ。
(春日山、小谷、月山、観音寺、そして七尾)

昔 観音寺城登ってゼイゼイした記憶があるのでビビってます。



登城する前に七尾城ウンチクをガッツリ♪

七尾城は源平時代の名将、畠山重忠を祖とする分家の畠山氏の拠点。

能登畠山氏と呼ばれています。

能登畠山氏、中興の祖と言われた名将 畠山義総(よしふさ)
畠山義総
画像は信長の野望より

義総の時には30年間、治世が続き京から
公家が多く能登に移り住んだと聞いています。

当時の能登は小京都と呼ばれました。

しかし義総が1545年に亡くなり、
子の義継が後を継ぐと状況は変わります。

当主 義継は傀儡(かいらい)となり、
畠山七人衆と呼ばれる重臣達の権力争いが始まります。

当主 義継は重心達をまとめるどころか、
権力争いに拍車をかけてしまいます。

当主 義継は家臣の若い娘を無理やり馬に乗せて
落馬させ、あらわになった娘の下半身を眺めるといった
奇行の持ち主。

その話を聞いた重臣 遊佐続光(ゆさつぐみつ)は
娘に乗馬を教えました。
遊佐続光
信長の野望の遊佐続光


そして遊佐の娘にも義継から乗馬を所望されます。

しかし遊佐の娘は馬を悠々と乗りこなします。

面白くない義継は遊佐の娘を、手ごめ にしてしまいました。

怒った遊佐は謀反!!

政敵の温井は、コレ幸いと挙兵し、遊佐を追放。
温井景隆
温井景隆(ぬくいかげたか)

こうして畠山氏は内から崩壊していきます。


『人は良い事をしながら悪いこともするし、
   悪い事をしながら良いこともする。』

とは鬼平犯科帳の鬼平の言葉ですが、
よく言ったモノでこの無能に見える当主義継も
大きな功績を残します。

七尾にいた絵の上手な家臣に当時、
京でも中々手に入らなかった高価な絵の具
を与えてパトロンになりました。

その絵師はメキメキ上達し、後に長谷川等伯と名乗りました。
駅前のとうはく垂れ幕
七尾駅前の垂れ幕

ゆるキャラ とうはくん
とうはくん


その長谷川等伯が当主義継を描いた絵が残っています。

コレです。
とうはくん描いた義継公?

あれっ!?

と思った方  正解です。

この絵は武田信玄公と伝わっていますが、
長谷川等伯、一度も信玄公に会った事ないんだとか。

描かれてる家紋も畠山氏のものだそうです。



話を戻し、結局 義継とその子 義綱
は結局 七尾から追放されてしまいます。

これにより遊佐続光 能登に返り咲きます。

その後 再び 若い当主を御神輿とし
重臣達の権力争いは激化していきます。





さてプロローグが長くなりましたが七尾城登城!!
大手道スタート七尾
駅からタクシーで15分くらい。

ここ上杉謙信公も歩いたという大手道から登っていきます。

歴史の道 赤坂口
歴史の道七尾

登ります♪♪

七曲り
七尾七曲
1577年 大手から攻め上がる上杉軍は
ここ七曲りにて200日以上の攻防戦が繰り広げられたとか。


さらに登ります♪

番所跡
七尾番所跡
通用門があったそうで、交代で兵士が番をしてたそうです。


さらに登ります。

沓掛場
沓掛場七尾
登城する人が身なりを整えた場所。

登ります。


水源
七尾城水源
戦国時代から今日まで水が枯れた事はないそうです。


登ります…。

僧兵が控えていたという場所。
寺屋敷七尾

あと少し…。

石垣が見えてきました。
石垣下の大手道
野面積みですね。

左手に行くと調度丸
調度丸跡
武器 食料倉庫のあった場所。



戦国時代はこんなんだったそうです。
天守遊佐屋敷CG
CG画像



調度丸登ると桜馬場跡
桜馬場七尾
馬の調練場

ここで家臣の娘に無理やり乗馬させたのでしょうか?

そのまま右手に向かいます。

温井家屋敷跡
温井屋敷跡

さらに進むと
七尾二の丸
二の丸

さらにさらに進むと
三の丸七尾
三の丸


桜馬場まで一旦戻ります。

桜馬場左手には
遊佐屋敷跡
遊佐家屋敷跡

本丸の手前にある遊佐家屋敷跡、
当主不在の時は守護代を勤めていた
というだけあって良い場所にありますね。

本丸石垣
七尾本丸石垣


本丸跡
七尾本丸跡

当時を再現したCG
七尾本丸CG


本丸石碑
七尾本丸石碑
標高300Mちょっとなので清水だと日本平くらいでしょうか?



日本五大山城の七尾城ですが1577年
上杉謙信公に攻められます。

1年以上篭城しますが、万を越す多くの領民
を城内にいれたおかげで糞尿の処理が追いつかず
城内で疫病発生。

城主の幼君畠山春王丸も疫病で亡くなり、
加えて重臣の権力争いが激化、
中央で支配体制を整える信長にいち早く近づき
発言力をつけた重臣 長続連(ちょうつぐつら)
長続連
信長の野望の長続連

共通の敵が出来ると、遊佐と温井も共闘し
長家を撃ち滅ぼすのでした。

その後の上杉謙信と織田信長の最初で最後の合戦

手取川

上杉軍の圧勝。

しかし、謙信公が直後倒れて帰らぬ人に。

トコトン運がいい信長なのでした。

読んでいただき有難うございました。




追伸

上杉謙信公が絶賛したという
七尾城から見た七尾湾の眺め。


写メったので良かったら見て下さい♪

続きをクリックすると見れます♪




謙信公が絵にする事は出来ない!
七尾城絶景
と言った眺めです♪
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プロフィール

サムライダー

Author:サムライダー
性別 :男子   (雑食系)
身長 :165cm(調子の良い時)
体重 :62キロ (飲んでない時)
血液型:+O   (Aに憧れる)
目標 :優勝  (棚ボタでも)
好きなもの:歴史・自転車・
      トレーニング・ミリタリー関連

元自衛官
元実業団野球トレーナー
元整形勤務

実力以上にウンチク話し、
マニアックで自虐ネタ
も多いですが暖かく
見守って下さい。



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