家康と慶喜
土曜は日本平を自転車で登り、清水から静岡までのランニング。
ヘロヘロになりながらも『家康と慶喜』静岡展を見に静岡葵タワーへ行って来ました。
入場料1200円は割高感ありましたが中に入って鳥肌が立ちました!
展示物は重要文化財のオンパレード!
図書館書物での見聞しかない名物揃い踏み!
写真はNGなので他からの画像引用取り入れながら、
独断と偏見でほんの一部分を紹介します。
静岡葵タワー3階
義元左文字
説明
今川義元の名刀、没後、信長、秀吉、秀頼、家康へと
渡った名刀。
ソハヤノツルギウツスナリ
説明
この太刀は、徳川家康の愛刀として世に名高い久能山東照宮所蔵の太刀(国指定・重要文化財)を、姿・地鉄鍛え・刃文・銘文の書体まで忠実に再現した一貫斎光廣刀匠の高度な技量を存分に示した一振りである。
古来より筑後国三池光世の作と伝えられ、名物大典太と同様な体配の堂々たる生ぶ太刀であり、地刃ともに光世の作風をよく示している。表裏共に広い棒樋と添樋があり、雉子股の茎表に「妙純傳持」樋中に「ソハヤノツルキ」裏に「ウツスナリ」と銘文が切られている。家康が臨終にあたって、大坂の没後もなお不安をとどめる西国に対し、切先をその方向に向けて置くように遺言したと伝えられ、そして、われ亡き後は久能山に納めよと命じた。久能山東照宮では御神体同然として大切に扱われ、今日に至っている名刀である。
徳川家康が霊夢により奈良の函工岩井与左衛門に命じて作られたもので、御夢想形あるいは御霊夢形と称したのですが、兜に生革製の歯朶の前立が添うところから歯朶具足と呼ばれるようになりました。この具足は家康が関ヶ原合戦に着用し、大阪の陣にも身近に置いて勝利を得たことから吉祥の鎧として尊ばれました。
午後は掛川の鎧屋さんへ
武者マラソン用の旗を支える竹も
掛川の鎧屋さんに作成して頂きました。
鎧屋さんより『テレビ局に紹介してよいですか?』
と言われました。期待しすぎず待ってみます。
現在勉強会で東京です。
木曜日まで!!
ブログかけるか??
読んで頂き有難うございました。
ヘロヘロになりながらも『家康と慶喜』静岡展を見に静岡葵タワーへ行って来ました。
入場料1200円は割高感ありましたが中に入って鳥肌が立ちました!
展示物は重要文化財のオンパレード!
図書館書物での見聞しかない名物揃い踏み!
写真はNGなので他からの画像引用取り入れながら、
独断と偏見でほんの一部分を紹介します。
静岡葵タワー3階
義元左文字
説明
今川義元の名刀、没後、信長、秀吉、秀頼、家康へと
渡った名刀。
ソハヤノツルギウツスナリ
説明
この太刀は、徳川家康の愛刀として世に名高い久能山東照宮所蔵の太刀(国指定・重要文化財)を、姿・地鉄鍛え・刃文・銘文の書体まで忠実に再現した一貫斎光廣刀匠の高度な技量を存分に示した一振りである。
古来より筑後国三池光世の作と伝えられ、名物大典太と同様な体配の堂々たる生ぶ太刀であり、地刃ともに光世の作風をよく示している。表裏共に広い棒樋と添樋があり、雉子股の茎表に「妙純傳持」樋中に「ソハヤノツルキ」裏に「ウツスナリ」と銘文が切られている。家康が臨終にあたって、大坂の没後もなお不安をとどめる西国に対し、切先をその方向に向けて置くように遺言したと伝えられ、そして、われ亡き後は久能山に納めよと命じた。久能山東照宮では御神体同然として大切に扱われ、今日に至っている名刀である。
徳川家康が霊夢により奈良の函工岩井与左衛門に命じて作られたもので、御夢想形あるいは御霊夢形と称したのですが、兜に生革製の歯朶の前立が添うところから歯朶具足と呼ばれるようになりました。この具足は家康が関ヶ原合戦に着用し、大阪の陣にも身近に置いて勝利を得たことから吉祥の鎧として尊ばれました。
午後は掛川の鎧屋さんへ
武者マラソン用の旗を支える竹も
掛川の鎧屋さんに作成して頂きました。
鎧屋さんより『テレビ局に紹介してよいですか?』
と言われました。期待しすぎず待ってみます。
現在勉強会で東京です。
木曜日まで!!
ブログかけるか??
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